切り替えても前の作業が残る(注意残余)
会議が終わって一時間経っても、まだ頭の一部があの部屋にいる。作業を切り替えたときに何が残るのか、なぜ「終わらせる」より「区切る」なのか。
ウェルビーイングの科学
注意残余とは、ある作業から別の作業へ移ったあとも、注意の一部が前の作業に残り続けることです。ソフィー・レロワが2009年に名前をつけました。彼女が見つけたのは「切り替えには時間がかかる」ということではありません。残る量が、前の作業がどれだけ片づいていないと感じられたかに比例する、ということのほうです。
これで話の形が変わります。細切れの一日がつらいのは、細切れだからではありません。一つ一つの断片が何かを置いていくので、午後になるころには、もう立っていない六か所に分散した注意でものを考えようとしているからです。
会議室を出て、ファイルを開いて、一時間ある。なのに最初の十五分、あなたはそこにいません。どこかの部分が、言いそびれた返事をまだ書いています。
実験で分かったこと
レロワの設計は単純です。参加者にある作業をさせ、途中で中断し、別の無関係な作業へ移らせる。変えたのは、最初の作業が「片づいた」と感じられるかどうかだけでした。
時間の圧力は残余を減らさず、増やしました。 締め切りに追われている最中に中断された人 —— つまり、いちばんきれいに次へ移ってほしい条件の人 —— が、いちばん多くを持ち越し、次の作業でいちばん成績が悪かった。
効いていたのは完了ではなく、区切りでした。 テレサ・グロムとの後続研究で残余を予測したのは、その作業が実際に終わったかどうかではなく、どこまで来たのかについて本人の中で収まりがついているかどうかでした。
ここからこの領域で唯一まともな証拠のある対処が出てきます。切り替える前に一分だけ、どこまで来たか、次に何をするかを書き出す。レロワとグロムはこれを ready-to-resume plan と呼びました。実験では残余が実際に減り、割り込んできた側の作業の成績も上がっています。標語ではなく、仕組みのある実験結果です。片づいていないものは、あとで見つかる場所に書かれた時点で、注意を要求するのをやめます。
切り替えコストとは別のもの
注意残余は、認知心理学のもっと古い知見の上に乗っていて、この二つはよく混同されます。
切り替えコストは、同じ作業を続けるのに比べて二つの作業を往復すると必ず遅くなる、という現象です。ルビンスタインらが2001年に理由を示しました。切り替えには、いま従っているルールの組み直しが要る。切り替えが来ると分かっていても、組み直しには時間がかかります。モンセルの2003年の総説はこの分野の標準的なまとめで、いちばん役に立つ指摘は、このコストは練習しても準備しても消えないということです。小さくはなります。ゼロにはなりません。
切り替えコストの単位は数百ミリ秒です。注意残余の単位は、質の落ちた仕事が続く分です。二つは積み重なりますが、問題の大きさが桁違いで、一週間の組み立てを変える価値があるのは後者だけです。
「23分」という数字について
見たことがあるはずです。中断されたあと集中が戻るまで23分15秒かかる。誰かの集中にストップウォッチを当てた数字であるかのように引用されます。
出どころはグロリア・マークらの2008年のオフィス観察研究で、実際に測られたのは別のものです。研究チームが追ったのは、人が中断された作業に戻ってくるまでの時間でした。その間、その人は宙を見ていたわけではありません。別の仕事を、しばしば複数、していました。この数字は忙しいオフィスで仕事がどう順番待ちするかの記述であって、注意の回復時間ではなく、23分が失われるという意味でもありません。
同じ研究のいちばん面白い結果は、誰も引用しません。中断された人は遅くなりませんでした。速くなりました —— そして、より強いストレス、より強いいらだち、より強い時間の切迫を報告しました。細切れの一日の代償は、主に処理量ではありません。処理量を別のもので払っていることのほうです。
わざわざこれを書くのは、盛られた数字が、本当の主張のほうを一緒に安く見せてしまうからです。注意残余は、この数字が無くても実在します。
日本語で読むときに前提が違うところ
ここまではどの言語で読んでも同じ話です。日本語で読むときには、上に乗っている前提が三つ違います。
一つめ。「マルチタスク」が、この国では能力の名前として流通しています。 求人票の歓迎要件にも、評価面談の言葉にも出てきます。英語圏では2010年代を通じて multitasking はむしろ「人間にはできない」の側へ語り直されましたが、日本語では並行処理の速さが美点として残った。その結果どうなるかというと、注意残余が現象ではなく本人の不足として読まれます。 会議のあと三十分使いものにならない人は、切り替えが下手なのではありません。切り替えたときに何が起きるかを、全員が同じように経験しているだけです。「自分は切り替えが苦手だ」は改善案を持ちません。「切り替えのたびに前のものが残る」は、段取りを変えられる具体です。
二つめ。中断が個人の時間管理ではなく、職場の設計の側にあります。 兼務が前提の人員配置、仕切りのない島型の座席、口頭での声かけ、チャットの即レス規範。どれも単体では良し悪しの言えない習慣ですが、合わせると一日のうちで「いま中断してよいか」を誰も判断していない状態になります。英語版のこの項目は中断を本人の側の問題として書いていますが、日本語圏の読者にとっては、まず設計の話で、次に本人の話です。個人でできることは残りますが、順番を逆にすると自責しか出てきません。
三つめ。実験が効くと言っている対処が、日本語圏の職場にすでに似た形で存在します。 日報。引き継ぎメモ。朝礼での申し送り。どこまで来たかを書き出すという行為そのものは、まったく新しい習慣ではありません。違うのは宛先です。 日報も引き継ぎも他人に向けて書かれ、他人に読ませるために体裁を整え、そのぶん時間がかかり、そのぶん後回しになります。レロワとグロムの実験で残余を減らしたのは、体裁のない、自分だけが読む一文でした。「ここまで。次はこの数字を確認する」で足ります。 三十秒で書けて、誰の目にも触れない。すでにある習慣の宛先を一つ増やすだけ、と考えたほうが早いです。
もう一つだけ。報連相は、中断を作る仕組みであると同時に、区切りを作る仕組みにもなります。「いま手が離せないので、十六時に戻します」は、報告であり、同時に自分のための ready-to-resume plan です。 同じ一文が両方の役を果たしているとき、その職場は中断に強くなります。
これを知ったあと、何ができるか
種類でまとめる。量ではなく。 同じルールを使う二つの作業は、往復してもほとんど損をしません。違うルールを使う二つは、どれだけ短くても高くつきます。高い一日は、忙しい一日ではなく、雑多な一日です。
切り替える前に引き継ぎを書く。 一文。どこまで来たか、次は何か。実験で効いたのはこれで、一分かかりません。
ブロックではなく、あいだを守る。 二時間の集中時間を確保して、通話から出た足でそこへ入っていく人が多い。その時点で最初の二十分はもう使われています。あいだの二分は、ブロックを長くするより多くを取り返します。
残っているのが作業ではないときがあります。 頭の後ろに居座っているのが未完了の書類ではなく、未完了の会話であることがある。そちらは別の仕組みで動いていて、やることリストには反応しません。それは反芻のほうの話で、考えすぎ傾向テストが読むのはその音量です。夜まで持ち越されたときに何が起きるかは疲れているのに眠れないに、言い合いのあとの版は喧嘩のあと眠れないのはなぜかに書きました。そして一日のどこで注意が落ちるかには時刻の側の理由もあって、それは午後の眠気のほうです。
そして、残余が部分的ではなく全体的であるとき —— 中断のない澄んだ一日でも集中が来ず、昔からずっとそうだったなら —— それはこのページとは別の問いです。ADHD傾向テストはその型をスクリーニング風の傾向として読みますが、診断ではありません。 生涯続いている版は、カレンダーではなく医療の領分です。日本では精神科、心療内科、あるいは成人の発達障害を扱う専門外来が入口になります。
出典
- · Leroy, S. (2009). Why is it so hard to do my work? The challenge of attention residue when switching between work tasks. Organizational Behavior and Human Decision Processes.
- · Leroy, S., Glomb, T. M. (2018). Tasks interrupted: how anticipating time pressure on resumption of an interrupted task causes attention residue and low performance on interrupting tasks, and how a ready-to-resume plan mitigates the effects. Organization Science.
- · Monsell, S. (2003). Task switching. Trends in Cognitive Sciences.
- · Rubinstein, J. S., Meyer, D. E., Evans, J. E. (2001). Executive control of cognitive processes in task switching. Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance.
- · Mark, G., Gudith, D., Klocke, U. (2008). The cost of interrupted work: more speed and stress. Proceedings of the SIGCHI Conference on Human Factors in Computing Systems.