自分の気持ちが分からない(失感情症・アレキシサイミア)
感情はあるのに、名前がつかない。アレキシサイミアが診断ではなく次元である理由、身体症状として先に出てくる仕組み、そして日本で提唱された「失体感症」という、もう一段手前の話。
ウェルビーイングの科学
アレキシサイミアは文字どおり「感情を表す言葉が無い」という意味で、精神科医ピーター・シフネオスが1973年に作った語です。自分の置かれた状況なら際限なく細かく説明できるのに、自分の内側の状態はまったく説明できない患者たちを指して使われました。どう感じていますかと聞かれて、返ってくるのは何をしたかです。
よくある誤読は、これを「感情の無い人」と読むことです。違います。 測定した研究はどれも、生理のほうは無傷だと報告しています —— 心拍は上がり、睡眠は削られ、顎は固いままです。欠けているのはその上の層 —— それがどの感情なのかを同定し、身体感覚と区別し、他人が受け取れる言葉に置くこと。日本語の訳語は「失感情症」ですが、この語を日常で使う人はほとんどいません。打たれるのはたいてい「自分の気持ちが分からない」のほうです。
どう見えるか
どうしたの、と聞かれて、正直な答えが「分からない」になります。はぐらかしではありません。 その情報が本当に手元に無い。
何かではあるのは分かります —— 落ち着かない、重い、ざわざわする、ずれている。不安と怒りのどちらかを選べと言われたら、もっともらしいほうを選びます。他人についての問題に答えるときと同じ手つきで。
感情はまず身体の出来事として来ます。胃、胸、午後四時から始まる頭痛 —— 後から振り返ると、それは悪い日だったと分かる日に限って起きていたもの。
感情についての会話は、怖いのではなく疲れます。社交不安との差はここで、予期不安が無い。ただ、答えがあるはずの場所に何も無いだけです。パートナーからは「何を考えているか分からない」と言われます。自分では「大丈夫」と言い、本気でそう思っていて、そして半分は当たっています。
日本語だとここに、もう一段きつい既定値があります。「大丈夫です」。英語の "I'm fine" より自動化の度合いが強く、しかも本人に嘘をついている自覚が無いことのほうが多い。聞かれた瞬間に口が先に動いて、内側を見に行く手続きが飛ばされます。
そして内面の向きが外に出ています。状態ではなく、出来事・予定・詳細で考える。臨床ではこれを外的志向的思考と呼び、標準的な尺度が聞いている三つのうちの三つめです。
研究が確定させたこと
診断ではなく、次元です。 このページでいちばん重要なのはこれです。バグビー、パーカー、テイラーの20項目尺度(TAS-20)は、この分野の文献の大半の土台になっている道具ですが、返すのは点数であって、カテゴリーではありません。 誰もがどこかに位置しています。手首の骨折を「持っている」ような意味でアレキシサイミアを「持つ」版はこの項目には存在しませんし、クイズから診断を出すと言っている人は何かを売っています。日本語版は小牧らが2003年に作っていて、健常群と患者群あわせて千人を超える標本で三因子構造が再現されています。
三つの成分があります。 感情を同定することの難しさ、言葉にすることの難しさ、そして外的志向的思考。この三つは分離します。 状態を正確に名指せるのに、大事な相手を前にすると言葉へのアクセスを全部失う人はいくらでもいます。
他のものと一緒に来るが、それらではありません。 テイラーらの著書は、アレキシサイミアの高さがうつ、摂食障害、慢性疼痛、心身症的な訴えと併存しやすい証拠を集めています。キンネアードらのメタ分析は自閉スペクトラムの標本で高率だったこと —— 一般人口のおよそ一割に対して約半数 —— を見つけ、同時に、自閉症そのものの特徴ではないことも見つけました。自閉の参加者の半分は典型的な範囲に入っていたからです。併存は同一ではない、という一文がここでは重い仕事をしています。
先に報告するのは身体です。 シフネオスがこの語に至った経路は心身医学で、その出自はいまも臨床像を他のどの説明よりうまく説明します。情動が言語への出口を持たないとき、もともと持っていた出口 —— つまり身体 —— を使い続けるからです。
日本には、もう一段手前の概念があります
ここが英語版に無い部分で、日本語で書く理由でもあります。
失体感症(アレキシソミア)は、池見酉次郎が1986年に提唱した概念です。池見は1961年に九州大学へ日本初の心療内科を置いた人で、日本の心身医学は英語圏よりはるかに制度的に大きく育ちました。彼の観察はこうです —— 心身症の患者は感情を読めないだけでなく、身体感覚のほうも読めていない。
具体的にはこうなります。空腹に気づかない。疲れに気づかない。熱があることに、倒れてから気づく。肩が上がりきっているのに、指摘されるまで分からない。身体が「もう無理だ」と言っているのに、その通知が届いていません。
なぜこれが実務上大きいかというと、英語版のこの項目は最後に「感情ではなく身体から始めなさい」と助言しているからです。「胸が締まっている、顎が固い、会議のときから」は答えになるが「不安」は答えにならない、と。その助言は、身体の側が通じている人にしか効きません。
失体感症の側が強い人にとっては、順序がもう一段下から始まります。感覚を探しに行くのではなく、まず時計と行動のほうを見る。 最後に食べたのは何時か。座ってから何時間経ったか。今日、肩を一度でも下ろしたか。これは感覚の記述ではなく事実の記述で、感覚が届いていなくても書けます。そして書けるものから始めるのが、この項目全体の方針です。
守口が整理しているとおり、情動の認知と身体性の関係は現在も研究の対象で、失体感症は測定尺度の整備がTAS-20ほど進んでいません。確立した診断単位として扱えるものではない、と正直に書いておきます。ここで有用なのは概念のほうで、点数のほうではありません。
何と取り違えられるか
冷たさ。 いちばん高くつく誤りで、たいていパートナーがやります。「気持ちを言ってくれない」と「何も感じていないんだろう」は別の非難で、後者は大量に感じているのに出口が無い人に当たります。その会話の枠としては相手に求めているもののほうが役に立ちます。満たされていないのは接触の必要で、直し方は「もっと言語化を迫る」ではありません。
麻痺。 何も感じない(感情の麻痺)は平坦化です —— 音量が下がる、たいてい何かを抑え続けた後で。アレキシサイミアは音量の問題ではありません。信号は最大で来ていて、解読ができない。
気にしていない。 点数の高い人はしばしば強く気にしていて、それを段取りで示します。直す、来る、四時間運転する。使える言語がそれしかないので、そこで愛情を出しています。
性格タイプ。 ビッグファイブの特性でもMBTIの文字でもありません。思考型と出た人が「アレキシサイミアだ」と言われ、点数の高い人が四文字を説明として渡される —— どちらの方向もでたらめです。特性モデルに何が入っていて何が入っていないかはビッグファイブのほうにあります。
何が助けになるか、そしてどこから専門家か
この文献の励みになる部分は、特性としての側が安定していても、技能としての側は訓練できることです。
- 身体から始める。ただし身体が通じているなら。 上の節のとおり、通じていなければ時計と行動から始めます。
- 一覧から選ぶ。 書かれた感情語のリストを上から読んで、いちばん近いものを選ぶのはズルではありません。再生が働かないときに認識が働く、というのは記憶の仕組みそのものです。
- 解像度をゆっくり上げる。 感情の解像度(感情粒度)がここの相棒です。名指しの精度についての研究は、この領域でいちばん実用的なもので、しかも出発点は思われているよりずっと低いところにあります。
- 会話の中で時間を買う。 「まだ分からない、明日には答えられる」は完結した一文で、当て推量よりはるかによく関係を守ります。
コミュニケーション・スタイル診断は、手元にあるものをどう届けているかを読みます。ムード診断は一日の中の状態を追うので、答えられない直接質問を自分に投げるより情報量が多いことがよくあります。
線について。アレキシサイミアは測定された特性次元で、ウェブページから診断される状態ではありませんし、点数が高いことは親密さの能力についての判決ではありません。
相談したほうがいい形は二つあります。自分の感情に届かないことが、実際に関係を壊しかけているとき。 そして 以前はそうでなかったのに、あるときから急にそうなったとき —— 生涯の設定ではなくアクセスの変化であるほうは、質問票ではなく専門家に持っていく話です。日本では心療内科がこの領域を正面から扱う科として存在していて、そこは英語圏より恵まれている点です。疲れているのに眠れない状態が何か月も続いているなら、そちらを先に扱ったほうが早いこともあります。
出典
- · Sifneos, P. E. (1973). The prevalence of 'alexithymic' characteristics in psychosomatic patients. Psychotherapy and Psychosomatics.
- · Bagby, R. M., Parker, J. D. A., Taylor, G. J. (1994). The twenty-item Toronto Alexithymia Scale — I. Item selection and cross-validation of the factor structure. Journal of Psychosomatic Research.
- · Taylor, G. J., Bagby, R. M., Parker, J. D. A. (1997). Disorders of Affect Regulation: Alexithymia in Medical and Psychiatric Illness. Cambridge University Press.
- · Kinnaird, E., Stewart, C., Tchanturia, K. (2019). Investigating alexithymia in autism: A systematic review and meta-analysis. European Psychiatry.
- · Ikemi, Y., Ikemi, A. (1986). An oriental point of view in psychosomatic medicine. Psychotherapy and Psychosomatics.
- · 小牧元, 前田基成, 有村達之, ほか (2003). 日本語版 The 20-item Toronto Alexithymia Scale (TAS-20) の信頼性,因子的妥当性の検討. 心身医学, 43(12).
- · 守口善也 (2014). 心身症とアレキシサイミア —— 情動認知と身体性の関連の観点から. 心理学評論, 57(1).