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完璧主義

研究が繰り返し見つけている二つの成分 —— 高い基準と、失敗への恐れ。害を予測するのはどちらか、そして日本語の「こだわり」がその二つをどう切り分けてしまっているか。

性格の科学

完璧主義とは、基準の高さと、基準に届かなかったときに起きることの、二つで出来ている性格特性です。 そして、面接で「短所は何ですか」と訊かれたときに、採用されるために自分から申告される唯一の短所でもあります。この一点だけでも、この語が二つの仕事を同時にしていることが分かります。

測定の研究は三十年かけてその二つを分けてきて、何度やっても同じところに着地します。高い基準を持ち、難しいほうを選び、目標を高く置く成分。これが面接で申告されているほうです。そして失敗を恐れ、自分のやったことを疑い、他人の評価が出来次第で変わると感じる成分。こちらが人を相談室に連れてくるほうです。二つは、都合のいい物語が認めるよりずっと頻繁に、一緒に来ます。

二つの成分

1990年と1991年に出た二つの質問紙が枠組みを決めました。別々の方向から来て、重なる答えに着きました。

フロストらは特性を次元に割りました —— 個人的基準、失敗への懸念、行動への疑念、親の期待、親の批判、整理整頓。その後の因子分析は、これらをおおむね上の二成分にまとめ、整理整頓だけが独立して残る、という形に落ち着いています。

ヒューイットとフレットは「その基準は誰のものか」で切りました。自己志向(自分がそうでなければならない)、他者志向(あなたがそうでなければならない)、社会規定(そう求められている)。いちばん行儀が悪いのは三番目です。自分で決めた基準は交渉できます。掛けられていると信じている基準は交渉できません。 自分で決めていないので、改訂する権限も無いからです。

日本語でも、ほぼ同じ構造が独立に取り出されています。桜井茂男と大谷佳子が1997年に作った多次元自己志向的完全主義尺度は、完全でありたいという欲求・個人的基準・失敗を過度に気にする傾向・行動に漠然とした疑いをもつ傾向の四つに分かれ、抑うつ傾向や絶望感と強く関係したのは後ろの二つでした。同じ割れ目が日本語の項目でも出る、というのは、この分野では珍しく安心できる所見です。

実務的な翻訳はこうなります。基準がどれだけ高いかではなく、その基準が誰のもので、外したときに何を意味することになっているかを訊く。基準が高い人が一つ外すと、しんどい一週間になります。懸念の高い人が一つ外すと、証拠になります。

「良い完璧主義」は本当にあるのか

ここが争点で、「健全な完璧主義」を長所として売るページは、たいていここを飛ばします。

ストーバーとオットーが2006年に肯定的な捉え方の文献を整理して出した結論が、いまの分野のおおむねの立ち位置です。完璧主義的な努力のほうは、統計的に完璧主義的な懸念を取り除いてやると、見た目が良くなる —— 誠実性、達成、肯定的感情と一緒に動きます。懸念のほうは、不安、抑うつ、先延ばし、低い自尊心と一緒に動く。二成分、二方向。

ただし注意が二つあって、それが「健全」を自称しないほうがいい理由です。

引き算は統計上のもので、人生の上のものではありません。 実在の人間では二成分は相関します。きれいで有益な「努力」は、回帰分析が心配を取り除いたあとに残るものであって、自分の人生で回帰分析を走らせることはできません。 高い基準を持つ人の多くは、懸念もいくらか抱えています。

懸念の側は、些細な相関物ではありません。 リンバーグらは2017年に、不安、抑うつ、強迫症状、摂食障害をまたいでメタ分析を行い、完璧主義的懸念がそのすべてと関係すること、努力の側の関係はずっと弱く、ときに保護的ですらあることを示しました。臨床で完璧主義を治療するとき、治療されているのはこちらです。

だから正直な言い方は「二種類の完璧主義者がいる」ではありません。完璧主義のうち役に立つ部分は誠実性であって、それにはすでに名前があり、ビッグファイブに得点欄もあります。 誠実性の上にこの語が足しているものは、恐れです。恐れを引いてもまだこの語が必要なら、それはたぶん仕事ぶりを描写しています。

もう一つ持っておく価値のある所見。カランとヒルが2019年に約三十年ぶんの学生コホートを集めたところ、ヒューイットとフレットの三形態すべてが時代とともに上がっていて、いちばん速く上がっていたのが社会規定でした。何がこれを生んでいるにせよ、証拠は内側と同じくらい外側を指しています。

日本語には「こだわり」があるので、二成分がすでに割れている

ここから英語版に対応する節がありません。英語は統計で分けないと語れない二成分を、日本語は語彙の側ですでに分けてしまっているからです。

「こだわり」は褒め言葉です。 職人のこだわり、素材へのこだわり、細部へのこだわり。売り文句として成立し、履歴書にも書けます。この語が指しているのは、ほぼ完全に努力の成分 —— 高い基準、難しいほうを選ぶこと、妥協しないこと —— で、しかも恐れの含意をまったく背負っていません。

「完璧主義」は、ほぼ自嘲か非難です。 「私、完璧主義なので」は謝罪の前置きとして機能し、他人に向けて使えば批判になります。こちらが引き受けているのは懸念の成分のほうです。

つまり日本語話者は、測定研究が三十年かけて分離したものを、日常語として毎日使い分けています。それ自体は便利です。問題は、分け方が向いている方向です。

高い基準は「こだわり」として無料で肯定されます。 正当化を求められない。一方、恐れの側は「完璧主義」という一語に押し込まれ、治す対象として扱われます。すると何が起きるか。成分は分かれているのに、人は分かれた両方を持ったまま、片方の名前でしか自分を呼べません。 高い基準を守りたい人は「こだわり」と言い、そのとき恐れは言葉の外に出て、名前を持たないまま残ります。しんどさを認めたい人は「完璧主義」と言い、そのとき基準のほうが一緒に非難されて、手放せと言われる。

お金と安心の項で、日本語には貯めることを称える語だけが揃っていて使うことを肯定する語が無い、と書きました。同じ形の非対称です。 片方の成分にだけ無料の肯定語があり、もう片方にだけ有料の告白語がある。

実用に落とすと、訊く言葉が変わります。「自分は完璧主義だろうか」は、日本語では答えの出ない問いです。答えが出るのは二つに割った形です。「これは、こだわりたいのか」と、「これは、外したら困ることになるのか」。 前者だけが立っているなら、それは誠実性です。後者が立っているなら、語を変えても事態は変わりません。そして多くの場合、この二つは別々の仕事に掛かっています —— 同じ人が、ある資料には前者、別の資料には後者で向かっている。人ではなく仕事ごとに割れる、というのは、次の節の話につながります。

何を、どの順番で削っていくのか

困りごとは、質の低い成果物としては来ません。一見無関係な三つの問題として来ます。

遅れ。 完璧主義と先延ばしについて安定している所見は、予測するのは懸念の側で、努力の側ではないというものです。着手されないのは、着手すると草稿ができ、草稿は見せられる形をした失敗だからです。空いた時間を埋める思考については、考えすぎ(反芻思考)の項が扱っています。

改善になっていない改稿。 ある点を越えると、手直しは質を変えるのをやめ、不安を管理し始めます。直近の一時間が、ものを良くしたのか、ものについての気分を良くしたのかを訊くのが有効な問いです。

「十分」の定義が狭いこと。 疲弊につながるのはこれです。ある仕事に許容される結末が最高の版ひとつだけなら、どの一日も成功では終わりません。「まだ見つかっていない」で終わります。 これは決して降りない要求で、燃え尽き症候群の項が詳しく書いている状態そのものです。職場の燃え尽き研究のほとんどで完璧主義が予測因子として出てくるのは、この経路です。

変えるとしたら、何を変えるのか

よく言われるのは「基準を下げなさい」で、これは効きません。本人は基準のほうを良い部分だと感じていて、それはまったくの間違いでもないからです。

変えるのはもう一方の変数、外したときに何を意味してよいことにするかです。努力の成分は失敗を無傷で通過します。懸念の成分は、失敗をあなたについての文に変換します。証拠のいちばん厚い介入 —— 臨床的完璧主義に対する認知行動療法で使われるもの —— は目標を下げることではなく、検証です。85%で出す。出してみて、実際に何が起きるかを見る。予測はたいてい具体的で、たいてい外れていて、確かめる方法は出してみることしかありません。

二つ目は、基準を人ごとではなく仕事ごとに置くことです。全体に一つの基準しか持っていない人は、取締役会資料と社内メールに同じものを当てます。仕事ごとに基準を持つ人は、完璧主義を効くところで使い、メールをメールのままにします。これは人格の変更ではなく配分の技術なので、学習できます。前の節の「こだわりたいのか、外したら困るのか」を、案件ごとに一回ずつ訊くのが実装です。

そして、外して困る基準が誰かに掛けられていると感じているなら、本当に掛けられているのかを確かめてください。 社会規定型は、言明ではなく推測から組み立てられていることが最も多い形態です。推測された要求が一度も声に出して確かめられないと何が起きるかは、人間関係の線引きの項が扱っています。燃え尽き度チェックが読んでいるのは、そのループが閉じないまま続いたときのコストのほうです。

出典

  • · Frost, R. O., Marten, P., Lahart, C., Rosenblate, R. (1990). The dimensions of perfectionism. Cognitive Therapy and Research.
  • · Hewitt, P. L., Flett, G. L. (1991). Perfectionism in the self and social contexts: conceptualization, assessment, and association with psychopathology. Journal of Personality and Social Psychology.
  • · Stoeber, J., Otto, K. (2006). Positive conceptions of perfectionism: approaches, evidence, challenges. Personality and Social Psychology Review.
  • · Limburg, K., Watson, H. J., Hagger, M. S., Egan, S. J. (2017). The relationship between perfectionism and psychopathology: a meta-analysis. Journal of Clinical Psychology.
  • · Curran, T., Hill, A. P. (2019). Perfectionism is increasing over time: a meta-analysis of birth cohort differences from 1989 to 2016. Psychological Bulletin.
  • · 桜井茂男・大谷佳子 (1997). “自己に求める完全主義”と抑うつ傾向および絶望感との関係. 心理学研究, 68(3).

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