内発的動機づけと外発的動機づけ
アンダーマイニング効果がどこから来たのか、その所見が実際どれほど狭いのか、なぜ給与はその例にならないのか、そして好きなことを仕事にすると何が起きるのか。
ウェルビーイングの科学
内発的動機づけとは、やること自体が目的になっている状態のことです。外発的動機づけとは、あとから来る何か —— お金、評価、肩書き、誰かの承認 —— のためにやっている状態のことです。 現実のものごとで純粋にどちらか一方であるものはほとんどなく、通俗的な二分法が最初に間違えるのはここです。
二つ目の間違いのほうが大きい。すでに楽しんでいることに報酬を与えると、その興味が減ることがある、という本物の、繰り返し確認された所見があります。これが「お金は情熱を殺す」という一般命題に引き伸ばされていて、研究はそこまで言っていません。この項は、その所見と標語のあいだの隙間のために書かれています。
どこから来たのか
1971年、エドワード・デシは学生に、多くの人が実際に夢中になるパズルを与えました。二回目の実験時間に、片方の群だけ解けた数に応じて報酬を払い、もう片方には払いませんでした。その後、全員をパズルと雑誌のある部屋に一人で残し、自由時間に何をするかを観察しました。報酬を受け取っていた群は、報酬が無くなったあと、パズルで遊ぶ時間が減りました。
1973年、レッパー、グリーン、ニスベットが定着することになる版を走らせました。お絵かきの好きな幼児を三つに分けます。描いたら賞状をあげると予告された群、何も言わずに後から賞状をもらった群、何も無い群。数週間後の自由遊びで、予告された賞状のために描いた子どもたちは、他のどちらの群よりお絵かきに使う時間が短くなっていました。予告なしの群には影響がありませんでした。
彼らはこれを過剰正当化効果(アンダーマイニング効果)と呼びました。子どもにはもともと描く理由がありました。賞状は二つ目の、より目に見える理由を供給した。そして目に見える理由が取り下げられたとき、活動のほうが分類し直されていました。 これは賞品のためにやることで、今日は賞品が無い。
この効果は、どれくらい狭いのか
語り直しから切り落とされるのはここです。
この所見は激しく争われました。キャメロンとピアースは1994年にメタ分析を行い、アンダーマイニング効果は限定的で、ほぼ一つの狭い場合に閉じている、と結論しました。デシ、ケストナー、ライアンは1999年に128の実験で改めてメタ分析し、効果を擁護しました —— ただし彼ら自身の結論が、効果を確認すると同じくらい、境界を定めています。 合わせると条件はこうなります。
その活動が、もともと面白くなければなりません。 退屈な作業には、損なわれる興味がありません。つまらない作業では報酬は助けになり、そこは研究も曖昧ではありません。
報酬は予告されていなければなりません。 事前に告げられ、理由になりうる形で。事後の予期しない報酬では、この効果は出ません。
報酬は有形で、従事に随伴していなければなりません。 作業をやること、あるいは単に終えることに対するお金や賞品が、確実に出る場合です。言語的な称賛は、むしろ内発的動機づけを上げます。 よくできたことに随伴する報酬も、多くの分析で同じ向きです —— 効果が最も弱く、ときに逆転するのは、報酬が統制ではなく有能さについての情報を運んでいるときです。
測られているのは、あとの自由選択行動です。 報酬が走っているあいだの成果ではありません。報酬期間中、産出はたいてい上がります。変わるのは、その後のほうです。
だから擁護できる言い方はこうなります。すでに楽しんでいることに対して、統制的に感じられる形で有形の報酬を予告すると、報酬が止まったあとにその活動をする量が減る。 これは本物で有用な所見です。「お金が仕事を台無しにする」ではありません。
日本語の「やる気」は、この議論を受けられない
ここから英語版に対応する節がありません。日本語には、この話題を受ける日常語が一つあって、その語の形が議論と噛み合っていないからです。
「やる気」です。やる気がある、やる気がない、やる気が出ない、やる気を出せ、やる気スイッチ。
この語は、動機づけを人の中にある量として扱います。多いか少ないか、入っているか切れているか。「何のためにやっているか」という理由の構造を、一語も含みません。
ところが、この項の研究が言っているのは量の話ではありません。理由の置き換えの話です。幼児のお絵かきは、賞状の前後で「量」が変わったのではなく、何のためにやっていることになっているかが変わりました。デシとライアンが2000年に言い直したのも、報酬の意味 —— 「よくできた」なのか「私がそう言ったからやれ」なのか —— という軸です。
「やる気」でこれを受けると、全部が落ちます。落ちたあと残るのは、量が足りないという診断と、量を足せという処方です。だから日本語の職場でも学校でも、この話は「どうやってやる気を出させるか」という問いに収束します。鹿毛雅治が2022年に一般向けにまとめた整理でも、動機づけが目標、自信、成長、環境といった複数の説の束であって単一の量ではないことが繰り返されています。単一の量ではないものを一語で呼んでいると、対策も一種類しか出てきません。
置き換えると答えが出ます。「やる気が出ない」ではなく、「いま自分は、何のためにこれをやっていることになっているか」。 そして「その理由は、増えたのか、置き換わったのか」。 後者が、この文献が実際に測っている変化です。
なお、日本語で動機づけを語るときにもう一つ避けて通れない語 —— 「やりがい」 —— については、仕事の価値観の項が一節を割いています。意味と報われ感を一語で束ねる、という別の問題なので、ここでは扱いません。
あなたの給与は、その例ではない
この文献のいちばん多い誤用は、雇われていることに適用することです。
給与は課題随伴報酬ではありません。面白い作業の単位ごとに約束されるものではなく、特定の活動の周りで現れたり消えたりもせず、賃金を受け取ることが職業への興味を壊すと示した研究は、この系譜に一つもありません。 ライアンとデシ自身の枠づけは報酬が運ぶ意味についてのもので、彼らの軸は「情報的か統制的か」です。「よくやった」と言う報酬は動機づけを支え、「私がそう言うからやれ」と言う報酬は腐食させる。同じ金額、違う伝達、違う結果。
日本語圏では、この距離がもう一段大きくなります。定期昇給と職能給の下では、報酬は課題からさらに遠い。 今月の一つの作業と今年の給与のあいだには、評価期間と等級と原資が挟まっていて、過剰正当化が要求する「その作業をやったからこれが出る」という随伴性がほとんど成立しません。つまり、日本の一般的な賃金形態は、この効果が起きる条件から英語圏よりさらに遠い。
ところが、同じ制度が別の変数のほうを薄くします。「何を・いつ・どの水準で」やるかの統制です。 配属も異動も担当替えも、本人が選んでいません。英語版が「趣味を仕事にするときの本当のリスクは、お金ではなく統制の喪失だ」と書いているその変数が、日本では就職した時点ですでに薄い。
だから、心配すべき順位が入れ替わります。報酬が動機を壊すのではないかと見張るより、統制がどこまで残っているかを見るほうが、この制度では当たります。 そして統制、有能さ、関係の三つを軸に据えたのが自己決定理論で、この項の深い版です。
研究が実際に当たる範囲は、もっと狭くて、もっと見覚えがあります。かつて自分で使っていた判断を静かに置き換えていく、指標に紐づいた四半期のボーナス。本を課題に変える成績。締め切りのある納品物に趣味を変えるスポンサー。どの場合も、自分の理由を持っていた何かが、より大きな声の外側の理由を獲得して、もとの理由が聞き取りにくくなっています。
褒めることについて、日本語で最も反対されている所見
文献の実用的な産出は、ほぼ一点に集まります。そしてそれは、日本語圏の通俗的な信念と正面からぶつかります。
言語的な称賛は、有形の報酬と違う挙動をします。上げるほうに。 デシ、ケストナー、ライアンの1999年のメタ分析で、アンダーマイニングを起こしたのは有形で予告された報酬で、言語的称賛は内発的動機づけを増やす側に出ました。理由は軸のほうで説明できます —— 具体的に何がよかったかを名指す言葉は、統制ではなく有能さについての情報を運ぶからです。
日本語圏でこれが受け入れにくいのは、反対向きの格言が揃っているからです。「褒めると図に乗る」「叱って伸ばす」「褒められて伸びるタイプ、は甘え」。 部活にも職人の修業にも、褒めないことを訓練の一部とみなす伝統があります。
正直に書くと、この格言が全面的に間違っているという証拠を私は持っていません。 比べているものが違うからです。上の研究が測っているのは「その後、自由時間にどれだけやるか」で、「三年後にどこまで上達したか」ではありません。厳しい指導の下で上達した人がいる、という観察と、称賛が内発的動機づけを上げる、という所見は、同じ土俵に乗っていません。
土俵に乗る範囲で言えることだけ書きます。 称賛が内発的動機づけを下げるという結果は、この文献には出ていません。そして効く称賛の形はかなり具体的に分かっています —— 人柄ではなく、名指しされた行為について言うこと。 「よくやってる」ではなく、「あの資料の三つ目の図で、反対意見を先に置いたのが効いていた」。前者は評価で、後者は情報です。
誰かを預かっているなら、この文献から持ち帰る実用はこれで全部で、しかも代替案より安上がりです。承認が関係の中でどう働いているかについては、感情的ニーズの項のほうが広く扱っています。
自分に対して何ができるか
実際に動かせることが三つ出ます。
測られないものを一つ持っておく。 漠然と趣味を持つ、ではなく具体的に —— 誰も数えず、評価せず、支払わない産出物を作る活動を一つ、定期的に。 自分の動機づけにとっての対照条件で、生活を全部計器化したときに最初に失われるものです。
理由が「足された」のか「置き換わった」のかを見張る。 信号は、外側の理由が無い日に止まることです。連続記録が途切れて練習が終わる。案件が納品されて、好奇心のほうが生き残らない。それが過剰正当化の到着で、直し方はたいてい、自分が実際に持っていた問いに作業をつなぎ直すことです。
賞品より、フィードバックを選ぶ。 具体的に何をうまくやったかを名指す言葉は、やったことへの支払いとは研究上の挙動が違います。
そして、かつて大事だった仕事に内発的動機づけがもう残っていない、という診断なら、原因は報酬構造の破損より枯渇であることのほうが多い。先に燃え尽き症候群の三側面を読んでください。疲弊に伴う意味の喪失は、見た目がこれと完全に同じで、上のどれにも反応しません。 節電モードのような働き方が広がっている話としては、2026年、なぜみんな省エネモードなのかもあります。そもそも興味が最初から付かなかったのなら、キャリア価値観診断のほうが役に立つ道具です。
出典
- · Deci, E. L. (1971). Effects of externally mediated rewards on intrinsic motivation. Journal of Personality and Social Psychology.
- · Lepper, M. R., Greene, D., Nisbett, R. E. (1973). Undermining children's intrinsic interest with extrinsic reward: a test of the "overjustification" hypothesis. Journal of Personality and Social Psychology.
- · Deci, E. L., Koestner, R., Ryan, R. M. (1999). A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation. Psychological Bulletin.
- · Cameron, J., Pierce, W. D. (1994). Reinforcement, reward, and intrinsic motivation: a meta-analysis. Review of Educational Research.
- · Ryan, R. M., Deci, E. L. (2000). Intrinsic and extrinsic motivations: classic definitions and new directions. Contemporary Educational Psychology.
- · 鹿毛雅治 (2022). モチベーションの心理学 —— 「やる気」と「意欲」のメカニズム. 中公新書.