脱中心化(考えから一歩引く)
考えを止めるのでも、正しさを判定するのでもなく、考えを出来事として見る一手。何が測られているのか、「客観視」とどこが違うのか、そして「観察者を観察しているのは誰か」という問いの扱い方。
ウェルビーイングの科学
脱中心化(だつちゅうしんか、decentering)とは、頭に浮かんだ考えを、世界についての事実としてではなく、いま起きている出来事として扱うことです。
違いは一行で書けます。「自分はだめだ」は、事実として扱うと判決になります。出来事として扱うと、「自分はだめだ」という考えが、いま来たという観察になります。内容は同じで、扱いだけが違う。
言い換えの遊びに見えますが、測ると差が出ます。臨床で注目され続けているのは、この一手が考えの内容を変えないまま効くからです。反論しない、論破しない、正しいかどうかも決めない。それでも、その考えに引きずられる量が変わる。
日本語で近い言い方はいくつもあります。「一歩引いて見る」「俯瞰する」「客観視する」「メタ認知」。どれも半分ずつ当たっていて、どれも一か所ずつ外しています。 次の節がその一か所です。
「客観視」でも「気にしない」でもない
客観視は、正しさを判定しようとします。 「本当にだめなのか、証拠はあるのか」。これは有用な作業で、認知行動療法の一部でもありますが、脱中心化ではありません。 脱中心化は、その考えが正しいか間違っているかを保留したまま進みます。正しい考えでも、同じように一歩引けます —— 「締め切りに間に合わない」が事実であっても、それが頭の中で百回再生されることは、事実であることとは別の出来事だからです。
「気にしない」「流す」は、抑制です。 そしてこれは逆を向いています。ウェグナーらが1987年に行った実験は有名です —— 白いクマのことを考えないでください、と指示された参加者は、その後、指示されなかった参加者より多く白いクマのことを考えました。考えないようにすることは、対象を保持し続ける作業です。 何を考えないかを確認し続けなければ、考えないでいられているかどうかが分からないからです。
脱中心化は、来るものを止めません。来たことを登録するだけです。止める作業が無いので、抑制の跳ね返りも起きません。
「メタ認知」は上位概念です。 自分の思考について考えること全般を指すので、心配も反芻も、実はメタ認知の一種です。反芻している人は、自分の思考について大量に考えています。だからメタ認知が多ければよいのではなく、どの種類かが問題になります。ここは考えすぎ(反芻思考)の項が「問いの形」で分けたのと同じ場所です。
そして、日本語で読むときにもう一つ。「一歩引いて見なさい」は、しばしば人物評価として渡されます。 「もっと冷静になれ」「客観的になれ」。渡された側にできるのは、冷静でない自分を追加で責めることだけです。脱中心化は性格でも態度でもなく一手で、一手は、できた回数を数えられます。
何が測られているのか
フレスコらが2007年に経験質問紙(Experiences Questionnaire)の脱中心化尺度を作り、この構成概念を自己報告で測れる形にしました。項目は、「自分の考えを、必ずしも真実ではないものとして見ることができる」「つらい状況から一歩下がって、それを観察することができる」といった形をしています。
バーンスタインらが2015年に行った批判的レビューは、この概念が三つの成分に分けられると整理しました。
- 気づき(meta-awareness)—— いま考えが起きていることに、起きている最中に気づいていること。
- 同一化からの離脱(disidentification)—— その内容を、自分そのものとしてではなく、内的な出来事として扱うこと。
- 反応性の低下(reduced reactivity)—— 同じ考えが来たときに、そこから連鎖する反応が小さくなること。
この三つが並んでいることには意味があります。三つめだけが、外から確かめられる量です。 一つめと二つめは本人の報告に頼るしかありませんが、反応性の低下は、時間、行動、その後の睡眠として現れます。
臨床側でいちばん引用される結果は、ティーズデールらが2002年に報告したものです。うつから回復した人を追跡し、メタ認知的な気づきの高さが、その後の再発率の低さと結びついていた。マインドフルネス認知療法(MBCT)は、この観察を土台に組み立てられた再発予防のプログラムです。
範囲を書いておきます。MBCTの効果が確かめられているのは、主にうつの再発予防という特定の用途です。 現在うつの真っ最中にある人に同じものが効くという意味ではなく、あらゆる悩みに効くという意味でもありません。
「観察者を観察しているのは誰か」
脱中心化を実際にやってみた人が、かなり早い段階でぶつかる問いがあります。考えを観察している自分がいる。ではその自分を観察しているのは誰なのか。さらにその上は。
これは筋の通った問いで、そして臨床の側は、この問いに答えないまま進んでいます。 そのことを、曖昧にせずに書いておきます。
無限後退は哲学の問題です。認識の主体をどこまで遡れるかという議論には二千年以上の蓄積があり、心理療法がそれを解決したわけではありません。臨床が測っているのは、主体の階層ではなく、反応の変化のほうです。 同じ考えが来たときに、どれだけ巻き込まれるか。何分で戻るか。夜に何回再生されるか。観察者が何人いるかは、この測定に影響しません。
実践の側から言うと、この問いは袋小路として現れます。 追いかけ始めると、それ自体が新しいループになる —— 内容が「あの会話」から「観察の構造」に変わっただけで、回っていることは変わらない。反芻が知的な話題に乗り換えるのは、よくあることです。回っているものは、話題を選びません。
その上でこの問いは、捨てるにはもったいないものでもあります。問いが出てきたこと自体が、二つめの成分 —— 内容と自分が同じものではない、という感覚 —— が動き始めた印であることが多いからです。この問いを袋小路としてではなく、どこまで追えるかとして扱った記事が「脱中心化」を実践するとき、その観察者を見ているのは誰かです。答えは出ていません。出ていないまま書いてあるところが、このページと同じ立場です。
解離と、どこで見分けるのか
ここは書かないと危ないところです。外から見ると、脱中心化と解離は似ています。 どちらも「自分の経験から距離がある」状態として説明されます。そして片方は練習して増やすもので、もう片方は増えると困るものです。
区別の目印は三つあります。
- 選んでいるか。 脱中心化は意図的な一手で、やめようと思えばやめられます。解離は起きるもので、本人が始めた覚えがありません。
- 感覚が残っているか。 脱中心化しているとき、身体感覚はむしろはっきりします。解離では、感覚のほうが遠のく —— 体が自分のものでない感じ、周りが薄いガラス越しに見える感じ、時間の抜け落ち。
- あとで説明できるか。 脱中心化した数分間は、あとから思い出せます。解離した時間は、しばしば思い出せません。
トラウマの文脈で脱中心化が扱われるときに、この区別が慎重に置かれるのはそのためです。トラウマ・セラピーにおける「脱中心化」とは何かのほうで、なぜ順序が大事なのかが扱われています。離れる練習より先に、身体が安全だと分かる作業が来るというのが、この領域の標準的な順序です。凍りつきや迎合として何が起きているかは闘争・逃走・凍りつき・迎合のほうに書きました。
一人でやっているときに、感覚が遠のく方向へ行ったなら、それは上達ではなく、方向が違っています。 その場合はやめて、足の裏や手のひらの感覚に戻るほうが安全です。
どこから専門家の領域になるか
このページは読み物で、手順書ではありません。「一歩引くための四つのステップ」も置きません。反芻や不安に効く手続きは臨床の領域にあり、一行で渡せるものではないからです。ここは考えすぎ(反芻思考)と同じ方針です。
代わりに、一人で練習する段階を超えている目印を書きます。
- 一歩引こうとするたびに、感覚のほうが遠のく
- 練習の途中で、思い出せない時間が出る
- 引いて見た結果、何も感じない状態が日常になった
- ほぼ毎日、二週間以上、気分が戻らない
- 仕事や家事が実際に止まる
三つめは特に見落とされます。平らになることは、脱中心化ではありません。 距離が取れている状態と、何も届かない状態は、本人にとって似た感じがすることがありますが、後者は心の疲れ(情緒的消耗感)やうつのほうに近い。
入口は他の項目と同じです。かかりつけ医でかまいません。心療内科・精神科はどちらもこの相談を扱います。MBCTのような構造化されたプログラムを探しているなら、実施している医療機関や大学の相談室は限られるので、地域の精神保健福祉センターに扱いを聞くのが早い。
最後に、日本語で読むときの事情を一つ。マインドフルネスは、日本語にカタカナで戻ってきた語です。 語の出どころは仏教の実践にありますが、いま日本語で流通している「マインドフルネス」は、アメリカの臨床心理学を経由して輸入された言葉で、宗教的な実践とは別のものとして提供されています。この経路のせいで、二つの誤解が同時に起きます —— 宗教的だから自分には関係がないという誤解と、東洋のものだから日本人には元々できるという誤解。どちらも外れています。脱中心化は、気質でも文化的な素養でもなく、やった回数だけ増える一手です。
そして、いま回っているものの音量は考えすぎ傾向診断が、圧力がかかったときの既定の動きはストレス反応診断が読みます。二つ並べると、引こうとしている相手が何なのかが少し具体になります。
出典
- · Fresco, D. M., Moore, M. T., van Dulmen, M. H. M., Segal, Z. V., Ma, S. H., Teasdale, J. D., Williams, J. M. G. (2007). Initial psychometric properties of the Experiences Questionnaire: Validation of a self-report measure of decentering. Behavior Therapy.
- · Teasdale, J. D., Moore, R. G., Hayhurst, H., Pope, M., Williams, S., Segal, Z. V. (2002). Metacognitive awareness and prevention of relapse in depression: Empirical evidence. Journal of Consulting and Clinical Psychology.
- · Bernstein, A., Hadash, Y., Lichtash, Y., Tanay, G., Shepherd, K., Fresco, D. M. (2015). Decentering and related constructs: A critical review and metacognitive processes model. Perspectives on Psychological Science.
- · Segal, Z. V., Williams, J. M. G., Teasdale, J. D. (2002). Mindfulness-Based Cognitive Therapy for Depression: A New Approach to Preventing Relapse. Guilford Press.
- · Wegner, D. M., Schneider, D. J., Carter, S. R., White, T. L. (1987). Paradoxical effects of thought suppression. Journal of Personality and Social Psychology.