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大人のADHD(注意の特性)

「自分もそうかもしれない」と思ったところから先の話。注意の特性として記述できることと、診断としてしか決まらないこと。日本語で「発達障害」という語が運んでいる重さも含めて。

ウェルビーイングの科学

ADHD(注意欠如・多動症)は、注意の向け方と行動のブレーキに関する発達特性のうち、程度が強く、子どものころから続いていて、生活の複数の場面で実際に困りごとを生んでいるものを指す診断名です。大人になってから初めてこの語に出会う人は、たいてい同じ入口から来ます —— 締め切りの前夜、片付かない部屋、三十分のつもりで開いた画面、そして「自分はなぜこれができないのか」という、もう十年以上続いている問い。

先に、このページがしないことを書いておきます。ここで診断はつきません。 そして「誰にでもあることです」で閉じることもしません。その二つはどちらも、同じ一つの混同から出てきます。

「自分はADHDかもしれない」という文は、実は二つの別の問いです。

一つめは、自分の注意はどういう形をしているのか。これは今日から記述できます。何時に集中が来るか、何に対しては何時間でも続くか、どこで途切れるか、途切れたあと何分戻れないか。

二つめは、診断がつくかどうか。これは医師にしか決められません。そして日本では、そこに固有の待ち行列と、「発達障害」という語の重さがついてきます。

この二つを一緒にしたままだと、どちらも進みません。片方の答えをもう片方の代わりに使うことになるからです。

「発達障害」という語が、日本語で運んでいるもの

英語の neurodevelopmental disorder を日本語に移したとき、「障害」という語が入りました。 これは翻訳上の事故ではなく、行政の側の必要でもありました。2004年の発達障害者支援法が「発達障害」を法律上の語として定めたことで、支援の入口と予算がはじめて存在するようになったからです。名前がついたことで受けられるようになった支援が、実際にあります。

同時に、受け取る側にとってこの語は重い。「障害者」と地続きに聞こえ、しかも日本語では、この語が人そのものの属性として使われがちです。「彼は発達障害だから」。この言い方をされた瞬間、何が起きているかを言う言葉は手元から消えます。考えすぎ(反芻思考)の項で「考えすぎだよ」という人物評価について書いたのと、構造は同じです。評価として渡されたものは、記述としては使えません。

臨床の側の語も動いています。日本精神神経学会が2014年に出した翻訳ガイドラインは、それまでの「注意欠陥・多動性障害」に代えて「注意欠如・多動症」を採りました。「欠陥」を外し、「障害」を「症」にする。医療機関の書類で新旧どちらの表記も見かけるのはそのためで、指しているものは同じです。

近年よく使われる「発達特性」という言い方は、診断名ではありません。診断の有無と関係なく、注意や刺激の受け取り方の個人差を指す語として使われています。便利な語ですが、便利すぎる面もあります —— 診断の話を特性の話に言い換えて済ませてしまうと、支援制度のほうには一生たどり着きません。

何が「特性」として記述できるのか

ADHDを注意の不足として説明する言い方は、いちばん普及していて、いちばん外れています。実際に記述されているのは配分の問題です。

エドワード・ハロウェルが1994年の『Driven to Distraction』で使った比喩がよく知られています —— フェラーリのエンジンに自転車のブレーキ。出力が足りないのではなく、出力に対して止める仕組みが釣り合っていない。この比喩がなぜ当事者に刺さり続けているのかは、「フェラーリの脳」を乗りこなすのほうで本人の言葉に沿って追っています。

記述として、よく出てくる形が四つあります。

  • 過集中。 六時間、水も飲まずに続く。しかも対象は自分で選べません。選べないことのほうが本体です。
  • 始められない。 やる気ではなく、開始そのものが重い。締め切りが十分に近づいて初めて、体が動く。
  • 切り替えの代償が大きい。 中断されたあと元の場所に戻るのに、他の人より時間がかかる。
  • 時間の見積もりがずれる。 十五分の作業を五分だと思い、そのまま予定を組む。

ファラオーネらが2021年にまとめた国際コンセンサス声明は、こうした形の背後に実行機能(計画、抑制、作業記憶)の平均的な低下があること、そして集団の平均としてはそうだが個人の診断根拠にはならないことの両方を述べています。実行機能の検査でADHDかどうかを判定することはできません。重なりが大きすぎるからです。

日常の運用で効くのは、たいてい診断名ではなくこの記述のほうです。ポモドーロ法が一部の人でうまくいかないことに具体的な理由がある —— 二十五分で強制的に中断される設計が、切り替えの代償が大きい人には罰として働く —— という話は、ポモドーロが効かない場合の代替と、同じことを逆から書いた記事の両方で扱われています。

自己チェックと診断のあいだにあるもの

インターネット上のチェックリストの多くは、WHOのASRS(成人ADHD自己記入式症状チェックリスト)を元にしています。ケスラーらが2005年に作ったもので、一般人口から拾い上げるための道具です。設計上、拾いすぎます。見落とすより拾いすぎるほうが安全だという判断で作られているからです。

つまり、チェックリストで「当てはまる」と出たことは仮説です。身分でも説明でもありません。ADHD傾向チェックが返すのも同じ種類のもので、返しているのは傾向の強さと、それがどの場面に集中しているかであって、診断ではありません。

診断のほうが何を見ているかというと、DSM-5では主に三つです。

  • 症状の数と持続。 17歳以上では、不注意か多動・衝動性のどちらかの群で5つ以上、6か月以上。
  • 場面をまたいでいること。 職場だけ、家だけ、では足りません。二つ以上の場面で困りごとが出ていること。
  • 12歳より前に、いくつかの症状が既にあったこと。

三つめが、大人の受診でいちばん手間のかかるところです。DSM-5が発症年齢の要件を置いているので、幼少期の様子を何らかの形で確かめる必要が出てきます。 通知表の所見欄、母子手帳、家族への聞き取り。三十代四十代で受診する人にとって、これは資料探しから始まるということです。

この要件には理由があります。モフィットらが2015年に報告したダニーデンのコホート研究 —— 1,000人あまりを四十年追った研究 —— は、成人期にADHDの基準を満たした人の大多数に、子ども時代のADHDの記録が無かったことを見つけました。この結果の解釈は現在も議論が続いています。成人発症の別の経路があるのか、子ども時代に見落とされていたのか、あるいは成人期の基準が他の状態を拾っているのか。確かなのは一つだけです —— 大人が自分の子ども時代について思い出して答える情報は、思われているほど信頼できません。 だから資料を探すことになります。

もう一つ。不注意と集中の困難は、ADHD以外の理由でも同じ見え方をします。 睡眠不足、うつ、不安、甲状腺の問題、そして単に長すぎる労働時間。疲れているのに眠れない状態が何か月も続いていれば、注意の検査は必ず悪く出ます。医師が先に睡眠と気分の話を聞くのはそのためで、話を逸らされているわけではありません。

日本で相談するなら、どこへ行くのか

入口は三つあります。

精神科・心療内科。 診断ができるのはここです。ただし、大人の発達障害の評価を扱っているかどうかは医療機関によって差があるので、予約の電話で「大人のADHDの相談は受けていますか」と先に確認したほうが早い。初診まで数か月待つことは珍しくありません。待ち時間の長さは、相談に値しないことの証拠ではありません。

発達障害者支援センター。 各都道府県と政令指定都市に置かれていて、診断の前の段階の相談を無料で受けます。診断はしませんが、その地域で大人の評価を扱っている医療機関を知っているのはたいていここです。「まだ受診するかどうか決めていない」という状態のまま行ける場所として設計されています。

精神保健福祉センター。 こちらも各都道府県・政令市にあり、精神保健全般の相談を無料で扱います。何を相談したいのかまだ言葉になっていない段階なら、ここかかかりつけ医から始めても間違いにはなりません。

職場の話をしておくと、診断がついた場合に選択肢が増えるのは事実です。精神障害者保健福祉手帳の対象になりうること、障害者雇用という枠があること、合理的配慮を求める根拠ができること。同時に、診断を職場に伝えるかどうかは完全に本人の裁量で、伝えない選択も同じくらい妥当です。ここは損得の計算で、性格の問題ではありません。

診断がついても、つかなくても

結果は三通りしかありません。診断がつく、つかない、そして「グレーゾーン」と言われる —— つまり特性はあるが基準は満たさない、という説明を受ける。

三つのどれであっても、自分の注意の形についての記述は残ります。 そしてその記述のほうが、日々の運用では効きます。何時に集中が来るか、何分で切れるか、切れたあと何分戻れないか。これは診断の有無に関係なく測れて、関係なく使えます。

診断がついた人が次に落ちやすい穴を一つ書いておきます。「ADHDだから」が、すべての説明になってしまうこと。 遅刻も、言い過ぎも、続かなかったことも、全部そこに回収される。これは楽になる言い方ですが、考えすぎ(反芻思考)の項で書いたHSPの話とまったく同じ構造で、生まれつきの説明で終えてしまうと、過程が記述の対象から外れます。 過程には手順と時刻ときっかけがあって、そこにしか手は入りません。診断は、記述をやめていい理由ではなく、記述に使える枠が一つ増えたということです。

診断がつかなかった人のほうにも一つ。基準を満たさなかったことは、困っていなかったことを意味しません。 基準は治療の適応を決めるために引かれた線で、しんどさの実在を判定する線ではありません。同じ困りごとについて、別の入口から相談し直すことはできます。

最後に、実際によく聞く問いに答えておきます。「大人になってから急に増えたのは、流行っているだけではないのか」。増えているのは診断の数であって、特性を持つ人の割合ではない、というのが国際コンセンサス声明の見立てです。認知が広がり、大人を評価する仕組みができ、以前なら「だらしない人」で終わっていた人が受診するようになった。それは流行ではなく、見えていなかったものが見えるようになったという種類の変化です。

そして、いま何かが回り続けていて眠れないなら、それは注意の話とは別の線かもしれません。考えすぎ傾向診断が測っているのはループの音量で、ADHD傾向チェックが測っているのは注意の配分です。二つを並べると、片方だけでは出てこない形が出ます。

出典

  • · American Psychiatric Association (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition. American Psychiatric Publishing.
  • · Faraone, S. V., Banaschewski, T., Coghill, D., et al. (2021). The World Federation of ADHD International Consensus Statement: 208 Evidence-based conclusions about the disorder. Neuroscience & Biobehavioral Reviews.
  • · Moffitt, T. E., Houts, R., Asherson, P., et al. (2015). Is adult ADHD a childhood-onset neurodevelopmental disorder? Evidence from a four-decade longitudinal cohort study. American Journal of Psychiatry.
  • · Kessler, R. C., Adler, L., Ames, M., et al. (2005). The World Health Organization Adult ADHD Self-Report Scale (ASRS): a short screening scale for use in the general population. Psychological Medicine.
  • · 日本精神神経学会 (2014). DSM-5 病名・用語翻訳ガイドライン(初版). 精神神経学雑誌, 116(6).
  • · Hallowell, E. M., Ratey, J. J. (1994). Driven to Distraction: Recognizing and Coping with Attention Deficit Disorder from Childhood Through Adulthood. Pantheon Books.

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