この問いが出るのは二か所です。まだ何も選んでおらず、どの扉も同じに見える時期。そして、外から見れば筋の通った暮らしが、ただの時間に感じられ始めた時期。
日本語で検索するとき、多くの人は「目的」ではなく「自分探し」と打ちます。この語は、答えを一つ先に決めてしまっている —— 自分はどこかに在る物で、旅なり転職なりで見つけに行くもの、という前提です。その前提を外すところから始めたほうが早い。何かを見つけた人の多くは、発見していません。すでに大事にしていたもののうち、どれが飢えているかに気づいて、そこへ時間を回しただけです。
英語圏の ikigai の図は、日本の生きがいではありません
四つの円が重なる図を見たことがあるかもしれません。好きなこと、得意なこと、世の中が必要とすること、稼げること。英語圏では ikigai の図として大量に流通しています。出所は日本ではありません。 2011年にスペインのアンドレス・スズナガが「Propósito(目的)」として描いた図で、2014年に英語圏の個人ブログで ikigai という語に貼り替えられ、そのまま広まりました。日本の生きがい論を要約した図ではなく、別の図に日本語の単語が乗っただけです。
日本語で生きがいを正面から扱った本は別にあります。神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房、1966)で、書かれているのは四つの円の交点ではなく、生きがいを感じている人がどういう状態にいるかのほうでした。あの図を知らないまま考えてきた読者は、何も取り逃していません。むしろ交点探しという遠回りをしていない分だけ、近いところにいます。
たいてい起きていること
価値観が一つ飢えていて、名前が付いていない。 何かが足りないのは分かるのに言葉にならない。だから宇宙的な問いに見えます。中身は具体的で、成長が要る人が習熟しきった役職にいる、貢献が要る人が「役には立つが誰のためか分からない」仕事にいる、という形をしています。名前が付いた瞬間、人生の目的の話が火曜日の予定の話になります。
減っていて、減った状態は無意味の顔をしている。 燃え尽きは「何もかもどうでもいい」という感覚を、かなり説得力のある形で作ります。灰色なのが仕事だけでなく週末も人もなら、問いは目的ではなく残量のほうです。その見分け方は別の場所にあります。
すでに持っていて、語感が合わないだけ。 誰かを育てている。ある場所が回るのを支えている。人が最初に相談に来る相手になっている。実際の目的はたいていこの形をしていて、劇的でないので目的とは呼ばれません。今週あなたのおかげで楽になった人の名前が言えるなら、足りないのは目的ではなく承認です。
今週やること
- 時間を忘れた直近三回を書き出す。そのあと「自分の一日に本当に要るのは__だ」を、成長・貢献・自律・達成・安定のどれか一語で埋める。答えの大半はここで出ます。
- 週末を確認する。週末も灰色なら、これは目的の問いではありません。十年の話を決める前に一か月休むほうが、順番として正しい。
- 「自分探し」を「配置換え」と言い換えてみる。探しに行かなくても、飢えている一つに時間を回すだけで足りる場合がかなりあります。旅の効き目の多くは、移動そのものではなく、いつもの役割から外れたことのほうから来ています。
何で決まるか
どの価値観が飢えているかで、「目的」が実際にどんな形をとるかが変わります。貢献が要る人と自律が要る人は、同じ語を検索していて、必要な次の職場は正反対です。働く価値観の検査は五つに順位を付け、いちばん声の大きいものを返します。暮らしが養っていない大きな声 —— それが「目的」という語がずっと指していたものです。
この問いが仕事の側から来ているなら、いまの仕事が合っていないのかどうかのほうが具体的に進みます。