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コミュニケーション・スタイル

話し方のどこが測れるほど安定し、どこが相手との関係に属するのか。四象限モデルの正味の値打ちと、高文脈文化という説明の信頼度。

測定のしかた

コミュニケーション・スタイルは職場心理学で最も商品化された語で、精査に耐えて残る部分はその周りの産業より小さい —— ただしゼロではありません。有用なのは、全体を擁護することでも切り捨てることでもなく、線がどこに落ちるかを正確に言うことです。

線はここにあります。具体的なコミュニケーション行動は五十年かけて丁寧に測られてきました。話すことがどれくらい怖いか、どれくらい進んで議論に入るか、意見が割れたときどう処理するか、どれくらい直接的か。これらの道具は実在し、まともな心理測定上の資格を備えていて、何かを予測します。

同じようには持ちこたえないのが、行動から への一段です。ラベル一つ、箱四つ、入る部屋すべてに着ていくもの。そしてその一段を最もよく崩す所見は、珍しいものではありません。同じ人が、向かいに誰がいるかで違う話し方をする。 しかもその幅は、この分野で最もよく使われる対立処理の尺度が、はじめから三つの版に分けて作られるほど大きいのです。

先に「メラビアンの法則」を片づける

日本語のコミュニケーション研修は、ほぼ例外なくこの話から始まります。言葉が7%、声の調子が38%、表情や態度が55%。「メラビアンの法則」という名前まで付いています。正しくありません。そして、どこから来たかを知っておくことは、このジャンルの残りに対するそれなりの予防接種になります。

アルバート・メラビアンは1967年に二つの小さな研究を行いました。一つは、単語一語(たとえば「maybe」)を違う調子で録音したものを聞かせ、その裏にある感情を判定させるもの。もう一つは、録音された一語と顔写真を対立させるもの。あの百分率は、この二つの結果を組み合わせて出てきます。そしてメラビアン自身が以後何十年も、これは感情について伝えている場面、かつ チャンネルどうしが食い違っている 場面にしか当てはまらないと言い続けました。

これは本物の、面白い所見です。言葉と顔が矛盾したとき、人は顔を信じる。会話のどれだけが非言語かについての言明ではありませんし、なりようもありません。その研究には会話が一つも含まれていないからです。 半世紀ものあいだ確かめずに繰り返してきた分野は、ゆっくり読むべき分野です。

実際に測られている四つ

コミュニケーション研究には本物の道具があります。スタイルより狭く、行儀がよい。

コミュニケーション不安。 ジェームズ・マクロスキーが1970年代を通じて開発した PRCA は、おそらくこの分野で最も使われた自己報告尺度で、持ちこたえています。話すことへの不安は安定していて、文脈によって予測可能な形で変動し、職業選択や参加の度合いを予測します。「物静かなスタイル」と呼ばれているものの多くはこれで、しかもスタイルより扱いやすい。不安に対する標準的な手当てが効くからです。

論争性と言語的攻撃性。 インファンテとランサーが1980年代前半にこの二つを分離しました。この分野で最も有用な一つの着想です。論争性は 立場 を引き受ける意思。言語的攻撃性は を攻撃すること —— 人格、能力、出自。独立に測定でき、片方が高くもう片方が低い人が普通にいます。「よく喧嘩する」がそれだけでは何も言っていない理由であり、一度も揉めない二人のほうがずっと深刻なことがある理由でもあります。その差が時間をかけて何をするかは対立と修復が扱っています。

対立の処理。 ラヒムの1983年の尺度は、対立への反応を自己への関心と他者への関心という二次元に整理し、統合・服従・支配・回避・妥協の五つを出します。組織研究で何十年も持ちこたえてきました。

直接性。 これは日本語で書くと一段落では済まないので、節を分けます。

「高文脈文化」という説明は、どこまで使えるか

日本語でコミュニケーション・スタイルを調べると、ほぼ必ずエドワード・ホールの高文脈・低文脈が出てきます。意味が言葉そのものにあるのか、言葉を取り巻く状況にあるのか。そして日本はたいてい高文脈の代表例として置かれます。語彙としてはよくできていて、だからこそ、証拠の側を具体的に見ておく価値があります。

証拠の基盤は弱いです。 カードンが2008年に、1990年から2006年までのビジネス・技術コミュニケーション系の学術誌224本をメタ分析しました。結果は二重でした。文脈度(contexting)はこの領域で 最も引用される理論枠組み である。そして、そこから派生した多数の命題のうち、実証的に検証されたものはごくわずかで、しかも 最もよく検証された命題 —— とりわけ直接性に関するもの —— は支持されていません。 キトラー、リーグル、マッキノンが2011年に同じ概念の使われ方を体系的にレビューしたときの問いはもっと直接的で、この概念に貼り付けられてきた国別の分類は厳密で裏づけのある知見に基づいているのか、というものでした。答えは否定的です。

日本を高文脈の代表とする前提のほうにも、別方向から疑いがかかっています。高野陽太郎と大坂勢津子が1999年に、日本人はアメリカ人より集団主義的だという通説を検証した15件の実証研究を洗ったところ、14件がその通説を支持しませんでした。 唯一支持した1件も、集団主義の通常の定義との関連が薄いものでした。文化の階層でコミュニケーションを説明する話は、この土台の上に建っています。

では何が残るか。グディクンストらが1996年に、同じ問いを個人水準の変数で測り直しました。予測の仕事をしていたのは、その人が自分をどれくらい独立的あるいは相互依存的だと捉えているか(自己観)であり、国籍が説明する部分は文化的な枠づけが示唆するよりずっと小さかった。人であって、旅券ではありません。

だから扱いはこうなります。高文脈・低文脈は、語彙としては便利で、結論としては使えません。 「察してもらう前提で話す人」と「言葉に全部載せる前提で話す人」の差は実在します。実在しないのは、その差を国籍から読み出せるという想定のほうです。目の前の相手が高文脈側だという推定を、国から降ろしてはいけない。それは生態学的誤謬の教科書的な例です。

敬語があると、「直接性」の目盛りが別のものになる

直接性を日本語で測ろうとすると、英語には無い問題が一つ増えます。

井出祥子が1989年に、言語的丁寧さの普遍性の議論に 弁え(discernment) という軸を持ち込みました。要点は、日本語の待遇表現の選択が、相手をどう扱いたいかという対人方略ではなく、社会的な慣習にしたがって 行われる部分を大きく持っている、ということです。目上に対して丁寧形を選ぶことは、その場で選んだ配慮ではなく、選ばないという選択肢が実質的に無い形式です。

ここから、翻訳された項目に具体的な故障が起きます。英語の尺度から訳された「思ったことははっきり言うほうだ」という項目は、内容の直接性(主張を言うかどうか)と 形式の丁寧さ(どの待遇形で言うか)を一本の目盛りに潰します。英語ではこの二つはおおむね連動しているので潰しても大きな害がありません。日本語では連動しません。最大限に丁寧な形式で、最大限に直接的な内容を言うことが普通にできます。 そして逆もできる。

実務的な帰結が二つあります。ひとつ、日本語話者の「直接性」の得点は、主張の強さではなく待遇形の選び方を測ってしまっていることがある。上司相手に得点が下がったなら、言いたいことを言えなかったのか、丁寧形を使っただけなのか、項目からは分かりません。ふたつ、形式と内容が分離できるぶん、摩擦が内容ではなく形式のほうに現れやすい。 「言い方」が論点になる頻度の高さは、文化的な繊細さというより、分離できてしまう構造の副作用として読めます。報連相という語が何を伝えるかではなく伝える形式と頻度を定めているのも、同じ構造の上の話です。

関係のほうに属している部分

この項目が乗っている所見は、道具そのものの設計の中に隠れもせずに置かれています。

ラヒムの対立処理尺度は、一つの質問紙として来ません。三つの版 —— 上司との対立、部下との対立、同僚との対立 —— で来ます。得点が三者間で系統的に、そして大きく違うからです。上には従い下には支配する人は、一度だけ測れば何も測っていないことになる程度には多い。

これを辿ると、四象限という絵は分析の単位として間違っている疑いが濃くなります。直接性はその部屋がどれだけ安全かで動き、議論に入る意思はそれで罰されると見込む量で動き、話すことへの不安は聴衆の大きさと評価の有無で動く。下に人がいないという意味ではありません —— 不安と言語的攻撃性はそこそこ安定した特性です。意味は、安定した芯が狭く、その周りの状況による幅が広い ということで、それ全部に一つのラベルを渡す報告書は、幅のほうまで黙ってあなたに帰属させています。

この分野の結果について最もよく聞く感想 —— 職場の自分にはぴったりだが家の自分には全然当たっていない —— が検査の失敗ではないのは、このためです。

四象限モデルを、正直に採点する

四象限のスタイルモデル —— メリルとリードのソーシャル・スタイル(日本の研修市場で最も広く売られている形)と、DISC を含むマーストン系 —— には、一般論ではなく個別の判定がふさわしく、判定は三つに分かれます。

二つの軸は本物です。 自己主張性(言うほうか、訊くほうか)は確立した次元で、ビッグファイブでは文字どおり外向性の下位面です。感情表出性も本物の行動次元です。ジョーンズとハートレーが2013年に四象限の道具と五因子モデルを比べ、期待どおりの対応を見つけました。四象限の道具は何かを測っていて、その何かにはビッグファイブがすでに名前を付けていた、ということです。

象限は発見ではなく打ち切りです。 二つの軸はどちらも連続に分布し、大半の人は真ん中付近に固まっています。中点で割ると、切れ目のない雲から四つの名前付きカテゴリが出てくる。52パーセンタイルの人と48パーセンタイルの人が別の箱に入り、別の説明文を読みます。おまけにその説明文はやたらと同意しやすい。人口の四分の一に当たるように書かれた記述は、大半の人にとって洞察として読めるからです。

看板の主張は検証されていません。 これらのモデルは、摩擦はたいていスタイルの不一致であり、相手のスタイルに合わせれば解消すると言います。これはかみ合わせの主張で、検証には特定の設計が要ります。学習スタイルの文献がついに作らなかった設計で、その顛末は仕事のスタイルに書きました。コミュニケーション・スタイルについても、この設計は作られていません。主張はもっともらしい。確立されてはいない。そして確立されたものとして売られています。

結果をどう使うか

以上は、この語彙が無用だという話ではありません。「あなたは決めるのが速く、私は口に出しながら考えたい」を共有できる言葉は、チームの中で本当に価値があります。しかもその価値は、モデルが正しいかどうかに依存しません。二人が摩擦を 中身ではなく形式 として名指しできるようになり、温度が下がって、本当の意見の相違を話せるようになるからです。これらの枠組みが実務で届けているものは、おおむねそれです。

だから、身分証明ではなく語彙として使ってください。具体的な読み方が三つあります。

箱ではなくパーセンタイルを読む。 コミュニケーション・スタイル診断を受けるなら、測定に当たるのは二つの軸の得点で、名前の付いたスタイルはその上に置かれた便宜です。四つのどれに入ったかより、中心からどれだけ離れているかのほうが、どれくらいの摩擦を見込むべきかをよく教えます。

結果を相手に紐づける。 上司を思い浮かべて一度、家族を思い浮かべてもう一度受けると、二つの差のほうが、どちらの結果単独よりも情報を持ちます。ラヒムが三つの版を刷ったのと同じ理由です。

気に入らない目盛りは、特性ではなく行動として扱う。 言いにくいことを決して言わない人は、たいてい直接性という固定量が低いのではありません。見込まれる代償を管理しているのであって、手を入れる先はその代償のほうです。これは境界線の領域で、あなた一般についてではなく特定の相手について個別に決まります。自分の対立の処理の仕方そのものが気になってきた場合は、あなたの対立スタイルは、代償を払わせていませんかが同じ話を請求書の側から見ています。

出典

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