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人疲れ(ソーシャルバッテリー)

人と会ったあとにくる疲れは何なのか。研究が実際に見つけたこと、日本語の「気疲れ」が指しているもう一つの機序、そして「人といると疲れる」と「人が怖い」の決定的な違い。

ウェルビーイングの科学

ソーシャルバッテリーは学術用語ではありません。ここ十年ほどのあいだに、ある経験を言い表すために人々が見つけてきた言い方です——好きな相手と過ごした時間でさえ、あとで一人になって充たし直さないといけない何かを減らしていく。夜は楽しかった。翌朝はソファから動けず、スマホは伏せたまま。

日本語には、もっと前からこれを指す言葉があります。人疲れ、そして気疲れ。後者のほうが厄介で、そして日本語で読むときには重要です。あとで一節を立てます。

比喩としての電池は、思ったより正確です。電池は恐怖ではないし、嫌悪でもありません。容量であり、人によって大きさが違い、使えば減り、特定の条件でしか充電されない。この四つとも、おおむね本当でした。

どんなふうに現れるか

楽しかった飲み会の翌日、誰からも何も求められたくない一日。会議では毎回あたたかく、その場にちゃんといるのに、昼食はイヤホンをして一人で取る同僚。予定が流れたときに湧くのが悲しさではなく安堵であること。食事と食事のあいだに一週間ほしくて、そのせいで「付き合いが悪い」と言われてきた友人。

これがもっと重い何かと違うと分かる目印は、その場そのものは平気だったという点です。多くの場合、平気どころか良かった。代償はあとから来て、しかも恐怖ではなく疲れとして来ます。

研究が見つけたこと

下敷きになっている考え自体は古いものです。アイゼンクは1960年代に、内向的な人はもともとの覚醒水準が高いところで動いているので「刺激が十分」に達するのが早い、と論じました。人の多い部屋は、その人を早く天井まで連れて行ってしまう。現代の証拠はもっと具体的で、一点、意外です。

社交的にふるまうことは、内向的な人にとっても気分が良い。 ゼレンスキーらは人に外向的にふるまってもらう実験をして、内向的な人も外向的な人と同じだけ気分が上向き、その場では認知的な代償も出ないことを見つけました。楽しい夜は、誰にとっても本当に楽しい。

請求書はあとから来る。 レイカスとイルマリネンは二週間の追跡で、外向的にふるまうことがその瞬間の気分の良さを予測し、三時間後の疲労も予測することを見つけました。全員にです。エネルギーは借りたもので、返済は客が帰ったあとに始まります。

感受性は別のつまみです。 アーロンの感覚処理感受性の研究——いわゆるHSPの下にある特性——は、五人に一人ほどが刺激を深く処理すること、そしてそれが内向性と部分的にしか重ならないことを示しました。感受性の高い外向型は存在します。うるさい部屋で消耗しながら、その部屋にいたいと思っている人です。

「気疲れ」は刺激の話ではない

ここが、日本語で読むときに足りなくなる部分です。

英語圏の説明は刺激量で閉じます。人が多い、音が大きい、情報が多い、だから消耗する。ところが日本語で「何に疲れるのか」を具体的に聞いていくと、出てくるのは刺激ではなく気を遣うことのほうです。場の空気を読み続ける。誰が黙っているかを見ている。話が途切れないように先回りする。相手の機嫌の変化を、変化する前に拾う。

これは労働です。 刺激を受け取る受け身の負荷ではなく、その場のあいだじゅう止まらない能動的な仕事で、しかもうまくやるほど誰にも見えません。だから終わったあとの疲れが、本人にも理由のない疲れに見える。「楽しかったのになぜ」という感覚の正体はたいていこれです。

見分け方は簡単です。同じ人数でも、気を遣わなくていい相手なら疲れないなら、それは刺激ではなく気遣いのほうの消耗です。家族との静かな食卓では減らないのに、同じ三時間の職場の飲み会では空になる、という人はここに当てはまります。

そして実務的な意味が一つ。刺激の消耗には静けさが効きますが、気遣いの消耗に効くのは静けさではなく「気を遣わなくていい相手」です。一人になっても回復しきらない、と感じている人は、休み方を間違えている可能性があります。

HSPという言葉を、便利に使いすぎないために

日本語圏では「HSP」「繊細さん」という枠組みが、英語圏とは比べものにならないほど広く知られています。読者の多くはすでにその言葉を持って来ます。役に立つ言葉です——自分を責める以外の説明が手に入るという一点だけでも。

ただし二つ、はっきりさせておく価値があります。HSPは診断名ではありません。 医学的な分類ではなく、研究上の特性の名前です。だから「HSPだから」で終わる説明は、何も予測しません。そして内向性とは別のつまみです。重なる人は多いけれど、感受性が高くて外向的な人も、感受性が低くて内向的な人もいます。

気をつけたいのは、特性の名前が観察の代わりになってしまうときです。「自分はHSPだから人混みが苦手」で止まると、本当は何に消耗しているのか——音なのか、人数なのか、気遣いなのか、それとも人からどう見られるかへの不安なのか——を見に行かなくなります。名前は出発点で、終点ではありません。繊細さん(HSP)診断が返すのが「HSPかどうか」ではなくどのチャンネルがどれだけ深いかなのは、そのためです。

疲れることと、怖いことは違う

この話題を扱うページの多くが曖昧にしていて、しかもどちらの診断を受けるべきかを決めるのがこの区別です。

電池が少ないのは消耗です。その場は楽しめたか、少なくとも平気だった。代償はあとから来るエネルギー。回復は一人の時間。そして次の誘いを避けるというより、間隔を空ける

社交不安は恐怖です。始まる前から気が重く、最中は自分を監視し、終わってから何度も再生する。代償は疲れではなく心配。回復は一人の時間ではなく「大丈夫だった」という確認。そして避けることが増えていきます。一度飛ばすたびに「あの場は危険だった」という学習が強化されるからです。その瞬間に体が何をしているかは、闘争・逃走・凍結・迎合のほうで扱っています。

両方が同時にあることもあります。そして両方ある人はしばしば、本当は恐怖のほうである部分まで電池のせいにします。疲れているという話のほうが、怖いという話より扱いやすいからです。だからこそ分ける価値があります。社交不安チェックは恐怖の側をスクリーニング形式で読み——診断ではありません——ビッグファイブ性格診断の外向性スコアは、心理学が持っているもののなかで電池の残量計にいちばん近いものです。

これを知ったあとにできること

電池だとすると、三つのことが続きます。

充電は気分ではなく必要です。 予定に入れること——満席の夜の翌日に空白の夜を置くこと——が、人と会うのを楽しめる人と、請求書を知っているせいで誘いが怖くなる人との分かれ目になります。食事の間隔を空ける友人は資源を管理しているのであって、愛情を出し惜しんでいるのではありません。そしてそれは、口に出して言えばたいてい伝わります。

容量は容量です。 人は何年もかけて電池を大きくしようとしますが、役に立つのはむしろ正確な残量計のほうです。二時間までがいい時間で、四時間だと落ちる、と知っていて、二時間で帰る。これだけで多くのことが変わります。

そして、あなたが大切に思っている人は、消耗の原因ではありません。 電池の底では、相手のごく普通の「一緒にいたい」が要求に聞こえます。「離れたいわけじゃない、充電しているだけ」と特性の名前で伝えると、相手が夜に抱えるものが変わります。もしその引きこもりが消耗ではなく恐怖のほうなら——それは別の診断の領分です。

出典

  • · Leikas, S., Ilmarinen, V.-J. (2017). Happy now, tired later? Extraverted and conscientious behavior are related to immediate mood gains, but to later fatigue. Journal of Personality.
  • · Zelenski, J. M., Santoro, M. S., Whelan, D. C. (2012). Would introverts be better off if they acted more like extraverts? Exploring emotional and cognitive consequences of counterdispositional behavior. Emotion.
  • · Aron, E. N., Aron, A. (1997). Sensory-processing sensitivity and its relation to introversion and emotionality. Journal of Personality and Social Psychology.
  • · Eysenck, H. J. (1967). The Biological Basis of Personality. Charles C. Thomas.

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