この問いを立てる人の多くは、自分の基準の高さを問題として扱っています。基準は、たいてい問題ではありません。問題は、基準に対応する「完了」の定義が無いことです。定義が無ければ、止まってよい瞬間が来ません。永遠に来ないものを待っているあいだ、時間だけが出ていきます。
だいたい何が起きているか
完了の定義が無いので、止まっていい瞬間が来ない。 「良くなったら出す」は終わりの条件ではありません。「この三つを満たしたら出す」が条件です。 書けない場合は、まだ何を作っているのか自分で分かっていない可能性があります。
他人の完成品を基準にしている。 比べているのが、相手が三回直したあとの成果物で、こちらは一回目。この比較を続けるかぎり、一回目は永遠に足りません。
手戻りが買っているのは品質ではなく確信。 六回目の推敲で文書が良くなる幅は、たいてい無視できます。買っているのは、間違っていないという感覚のほうです。それは買えないものなので、支払いが終わりません。
委任できない。基準が、どこにも書かれていないから。 頭の中にしかない基準は渡せません。だから全部自分でやることになり、その状態が能力の証明として扱われるので、ますます書かれません。
費用を払っているのは工程のほうで、誰もそう言わない。 一人の完璧主義は、たいてい他人の待ち時間として現れます。本人の目には見えない場所に出るので、指摘されるまで気づきません。
そして、仕事の話ではない版。 確認と手戻りが組織の様式になっている職場 —— 多重のチェック、事前の根回し、差し戻しの前提 —— では、個人の完璧主義と組織の手続きが見分けられません。 同僚が同じ回数だけ直しているなら、直しているのは性格ではなく制度です。
今週やること
- 一つの作業に、完了の条件を三つ書く。 出す前に。書けるなら、その作業は終われます。
- 推敲の回数に上限を付ける。 三回で出す。品質の差は、たいてい自分にしか見えません。
- 他人の一回目と比べる。 完成品ではなく。可能なら同僚に草稿を見せてもらってください。基準の位置が、かなり動きます。
- 待っている人を数える。 自分の三日が、三人の三日になっていないかを確認する。
何によって変わるか
完璧主義と呼ばれているものは、二つの別々の測定値の重なりです。誠実性は高くて構いません。ほぼどの職務でも成果を予測する特性で、下げる理由がない。問題になるのは、そこに否定的な評価への敏感さが重なったときです。前者だけなら、高い基準を持つ人が期日に出します。後者が乗ると、同じ基準が終われなくなります。
ビッグファイブは、この二つを別々に返します。だから出てくる処方も別々です。誠実性が高いだけなら、変えるのは完了の定義だけ。敏感さのほうが高いなら、変えるべきは基準ではなく賭け金の見積もりです。「これが不十分だったとき、実際に何が起きるのか」を一度書き出すと、たいてい予想より小さい。この区別と、その臨床側の議論は完璧主義の項にあります。切り替えのたびに失われる時間の話は注意の残留の項です。